日記

なにか

クルーグマンミクロ経済学1章までのメモ

以下自分なりのまとめ。

 

まずはミクロ経済学における公理系の話から始まる。

生活等における他者との選択を伴うあらゆる取引を経済学での取引ということにする。

これが経済学で扱い、分析する対象。

選択を伴う理由は資源の希少性からくる。目の前の空気を吸うために料金を払う必要はない。資源がいくら豊富でも全人類に欲しいだけ与えられないものには希少性がある。

選択⇒選ばれなかった選択肢が必ず存在する…これを機会費用という。機会費用こそ選択と交換されるもの。

昼食用のお弁当(500円)を買うための機会費用は、500円で変えた別の食事。

自分で作ったご飯の機会費用は材料費や交通費と料理にかかった時間。

 

経済的な取引には参加者がインセンティブを見逃さないことを(まずは)仮定する。

つまり必要以上に安く売ることも、必要以上に高く買うこともしないものとする。

わざと損をすることはしないものとする。

(価格規制や税金などにより、それらがない場合の必要以上の価格で取引してしまうことはあるかもしれない。)

(参加者が少ないなどの理由で効率的な取引ができず=情報を得るコストが高く、損をしてしまうことはもちろんあるが、情報を得るコストが十分小さければわざと損をしない、と仮定するという意味。)

この仮定があると需要と供給をもとに、全体で必要な数量とその費用が決定される。これを均衡数量、均衡価格という。

 

供給から見れば、ある商品は資源の制約から数に限りがある。今の価格で売り始めれば、商品の需要数が供給数よりも多いとする。価格を上げても需要数が供給数よりも多ければ、インセンティブを見逃さないという仮定から価格を上げていく。

需要数と供給数が一致するところが均衡価格である。

それ以上の価格で売ると需要数が供給数より減り、商品が余ることになる。

 

均衡に達した経済は効率的と言われるが別に公平ではないし、何かしらの制約がないと市場は社会全体としての均衡に達するのに失敗する。これを変えられるのは政府の法律による介入や財政支出など。

例:多くの公共事業。寡占や独占。環境問題。

 

政府による財政政策の失敗や、需要・供給の均衡が崩れる(物資不足など)と、インフレーションやデフレーションになる。

 

2章は取引、3章は需要と供給に関しての詳しい話。4章&5章では取引により消費者にも生産者にも余剰が生まれ、市場への(政府などの)介入によって余剰が減る話。